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岡田真宏
岡田真宏 作品制作
(2006年)
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私の制作は地図の無い旅である。何かを写し取るのでもなく、イメージしたものを描く訳で もない。下絵も作らず精神集中もせず、ただ無心で画面に向かう。私にはここに至る遠い記憶がある。それは十三歳の頃の等伯との出会いである。初めて目にし た「松林図」に言葉を失い霧に烟る松林を私の心は暫(しば)し逍遥したことを今 も憶えている。静寂と律動、光と闇、有限と無限、虚と実それら全てが波動となって画面を漂う。それは大自然のエネ ルギーが等伯という絵師を通り、波打って流れ出し二双の屏風に映し出されたものであった。万象の実体は刻刻と変化 する。その形を捉えようとすると形に囚われ、変化に心奪われると本質を見極めることが出来ない。しかし等伯は実体 を見て松林図を描いたのではなく、その実相を見たのだろう。そのためには 自然の波動と自身のそれを合わさなければならない。その共鳴がこの作品を創った。
自然が万象を形創る時、一つの法則があるように思う。小さなエネルギーを反復することで 複雑な森羅万象は出来上がる。海岸線や山の端、樹樹の形や川の蛇行などはこの運動により創られ、自己相似性を持つフラクタル形態となる。私達人間もこの法 則の範外になく、細胞分裂という自己相似を繰り返し人間として生を受ける。私達が自然の万象に接した時、無条件で受け入れ心安らぐのは、自身と同じリズム をそれに見るからに他ならない。
自然との対話の中で宗教家や芸術家は早くからカオスやフラクタルを感じ取り、曼荼羅や経 典、そして数数の作品に表現してきた。つまりそれは科学によって再発見されたことになる。
形而下に存在するものは全て原子の集合体である。原子は原子核と電子からなり、原子核の 周りを電子が回るというミクロコスモス構造を持つ。電子が回るとそこに波動が生じる。それは動物や植物などの有機体は元より無機物も、固体や液体そして気 体も全てが波動を持っているということを意味する。また光や音波、電磁波や電波も波でありこれも同様である。
科学は可視光線と可聴域という人間の能力を限定し、それを超える光も音も私達には感知で きないという。電波や電磁波のように、それを感じ取る器官がないとされるものにおいては尚更である。しかし曾て人は水の波動を聞き水脈を探り当て、磁場を 感じて旅をした。また僅かな気圧の変化を読み取り、天候の急変を予知した。蝶は紫外線を見、蝙蝠や海豚は超音波を発し、それを聞く。鳥は地磁気を感じて渡 りをし、鯨はそれによって回遊する。これらは全て波動であり、生物にはこの波動を全身で感じ取る能力がある。私は人にもこの能力があると信じている。それ は私自身が己を空しくすることにより、多くのものが発する波動を体感するからである。それが大きなうねりとなって私を揺り動かす。そのエネルギーは浸透膜 を通過するよう私の内に入り込み、手にその揺らぎを伝える。そして漣(さざなみ)が砂浜に波紋を残す ようにして作品が出来上がっていく。そこには自然に身を委す私がいるだけである。
私が制作にあたって決めるのは素材(マテリアル)と技法(メソッド)だけである。今まで和紙に油絵具、鉛筆、鉄粉、ブロンズパウダーなどを制作の素材としてきた。そして現在の色鉛筆に行き着く。赤橙黄緑青藍紫と金銀という光の色と、黒という闇の色を使い、ストロークやスパイラルといった最もシンプルな手の軌跡を限りなく重ねる手法を使う。これは形の法則ではなく、形を生み出す法則で ある。無限の集積の結果現われた形は、何時か何処かで見た私達の心の深層 に降り積もった風景と重なる。
全てのものには「波動」がある。光や音、水や空気、樹や草や大地、そして私達も常に揺ら いでいる。その揺らぎが波動となり互いに干渉し合い、強めあったり弱まったりしながら四方に拡がってゆく。この派動を私は「氣」と呼ぶ。私の作品はこの氣 を映す鏡である。こうして三四三点の「氣の鏡」シリーズが生まれた。
私達の先達はこの氣と共鳴し自然体で生きる達人であった。その源流への旅に出た私の前に は寸断された道があった。その様な五里霧中の旅の果てに私は「縄文」に行き着く。物言わぬ縄文人の残した火焔土器は、彼等が如何に自然のエネルギーを感 じ、それと共に生きたかを饒舌に物語る。彼らは火と語り水と語り、天空や大地と語る言葉を持っていた。そしてそれは打たれても打たれても生き続けてきた服(まつろ)はぬ民によって、時空を越えて脈々と受け継がれてきたのである。その水脈が運んだ「縄文の心」は確実に私達の心の深層に厚く堆積している。波立つ心を鎮め、そっと錘鉛を沈めて行くと深い漆 黒の淵に降り立つ。そこは「神歌」の響く領域である。縄文を生きた魂が自然の神神と呼び交す声が聞こえる。それは風の咆哮と も波のうねりともつかぬ、深い静寂(しじま)を内に秘めた地鳴り の様な波動である。「神歌」は沈黙と語り合う言葉である。私はこの言葉を手にした時から老荘の言う、そして唯識に印された「無分別の心」を得られたように思う。一度(ひとたび)ここに根差せば全て の分別は無くなり、光も音も、生物も無生物も、見えるものも見えないもの も、それらを隔てる壁が消え去る。同時に私自身の内外(うちそと)の領界が崩れ、大いなるものとの?がりの中でそ れは「一つ」になる。
時代を超えて受け継がれてきたものには、日本人のこの様な美意識がある。世阿弥、利 休、等伯、芭蕉、北斎、円空そして沼田居、武満と?がる日本の魂は、私達が世界に誇る精神の極みであり、文化的奇蹟である。彼等の残した遺産を私達はどの ように継承すれば良いのであろうか。先人の創造した伝統の様式をそのまま踏襲することで伝統を受け継いだことになるのであろうか。ジャンルを問わず、その 様な継承の形を取って死(・)に(・)体(・)になりながら、辛う じて生き延びているものは多い。私達が伝統から学ぶべきは、先達が作り上げた形式や様式ではない。今日まで伝統として時代を超えてきたものは、それが生ま れた時代の異端であったことを忘れてはならない。
世阿弥の前に彼岸と此岸を繋ぐ舞や謡は無く、利休の前には宇宙と一体となる茶の湯も無 い。彼らから学ぶべきは独創と創造性であり、当時の常識やタブーを恐れず、自身の創り上げた芸術を世に問うた勇気である。それを学び取ることこそ先達の残 した文化の正統な継承者といえる。
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