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「水の夢・ゆらぎ曼荼羅(百日の月齢)」
私達の心と体はゆらぎのなかにあります。
それは人と宇宙が密接な関係にあることの証です。
中でも太陽と月は強い影響力を持ち、私達の生命現象の陰陽のリズムを創ります。
しかし唯物的な風潮が広まると、人は見えないものの存在や力を忘れてしまいます。
そして生かされている自分を自覚できなくなるのです。
この作品は、私自身の百日の心と体のゆらぎを記録したものです。人のゆらぎは非常に微 細なものであり、同じ動作を毎日繰り返すことでそれを視覚化することが出来ました。
この生命のリズムは、バーチュアル世界を作り出すことを得意とするハイ・テクノロジーで は正しく読み取ることが出来ません。
それはこのリズムがロー・テクノロジーの繰り返しの体感の中にあるからです。
「水の夢・ゆらぎ曼荼羅」
日本人は何処に向かおうとしているのでしょうか。
この百三十余年、私達は何を得、何を失ったのでしょうか。
身の周りで起る日々の出来事や、昨今の短絡的な日本人の言動を見るにつけ、これが空海を 世阿弥をそして芭蕉を生んだ民族の末裔かと思われます。
自然を慈しみ、生かされている自分を見つめる眼差しは、何処へ行ったのでしょうか。
私達は皆、宇宙のリズムの中にあり、それはサーカディアン・リズムやバイオタイドとなっ て顕れます。
「ゆらぎ曼荼羅」は人と宇宙との交感の形なのです。
「水の夢・月光」
漆黒の闇に降り注ぐ月の光は不思議な力を持っています。
それは静寂(しじま)をより深いものにす る幽(かそけ)し響きのように、闇を豊潤な世界にします。
しかしデジタルの0か1かの網では有弁は掬(すく)えても、沈黙の言葉 はその目から擦り抜けてしまいます。
月の光は私達に闇の意味を教えます。
その光は私達の皮膚を浸透膜のように通ってからだの中を満たし、宇宙との交感を可能にし てくれるのです。
「水の夢・十六(いざ)夜桜(よいざくら)」
物には「氣配」があります。
日本人はその氣配を受け取り、また放つことに長けた民族だと思います。
時空を超えて今に残るものには、それに込めた先達の心があります。
それらは自然と人との関り方の形を見せてくれます。
樹々にもそれぞれ異なる氣配があります。
中でも満開の桜は不思議な風情を感じさせます。
在るか無しか分からぬような、十六(いざ)夜(よい)ながら在る様は、彼 岸と此岸を往き来する精霊がやどっているようです。 |
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