岡田は、1970年代初頭より、同一の繰り返しパターンを集積したシルクスクリーンの作品や和紙に鉛筆で無数に引いた線を集積した作品、あるいは、無数の線が引かれた和紙を揉みほぐし、多数の矩形の細片に分割してから台紙に貼り重ねた作品を制作してきました。1990年代に入ると、樹脂で溶いた鉄粉やブロンズパウダーを用いて、和紙や韓紙にドローイング、あるいは、ドロッピングして腐食させた作品など、それまでの画くという人間の行為の集積の中に、腐食という自然の行為の集積を取り込んだ作品へと展開してきました。1995年以降は螺旋の弧を上昇するかのように、70年代末からの鉛筆の線の集積を発展させて、和紙に8〜9色の色鉛筆で円弧を無数に引き重ねた線を集積した作品を制作しています。
岡田は、このような平面作品の制作を続ける過程で、一貫して「偶然を引き出すこと」にエネルギーをそそぎ込んでいます。作家の言う「偶然(チャンス)」とは、反対語としての「必然」に対応する概念ではなく、チャンスという言葉の元来の意味である「出来事」を強く意識しています。
自然の生成・発展に拘わる基本的な原理としての「偶然」を、制作という人間の行為の中から作品の上に引き出してくる、いわば不可能とも思える行為に作品制作の核心を据えているのかも知れません。そのような不可能性を克服するために、岡田は愚直とも言える「単純な行為の繰り返し」を積み重ねることによって、行為と行為との間に滑り込んでくる「偶然」を、極めて抑制された意志力によって待つ‥‥‥‥ここに岡田の作品が産み出す祈りのような気持ちで待つという、そこでは「偶然」は、自然と人間を結びつける「和」と成りうるのでしょう。
自然の生成・発展に拘わる基本的な原理としての「偶然」を、制作という人間の行為の中から作品の上に引き出してくる、いわば不可能とも思える行為に作品制作の核心を据えていると言えます。そのような不可能性を超克するために、岡田はストイックに「単純な描写」を積み重ねるのです。そうすることによって、単純な行為と行為との間に滑り込んでくる「偶然」をひたすら待ち、受け入れるのです。
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