岡田真宏 Being11-8-2
「氣の鏡・結界h-2」
鉄錆・韓紙 123×61.5 cm 1991
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岡田真宏展
会期/1994年11月5日(土)〜 11月29日(火)
11:00am〜8:00pm(土・日6:00pm)
休廊:水曜日
会場/1F絵画ギャラリー
■ギャラリートーク
11月5日�F 6〜7:30pmに作家を囲んでフリートーキング
(作品制作や美術の話題)を行いますので是非ご来場下さい。
今展は、昨年の墨・鉛筆による作品に続き、'87-'92年の鉄粉とブロンズパウダーを用いた約30点の作品を紹介するものです。
'87-'89�年は、和紙を割く仕事。鉄粉を樹脂に溶いて和紙・韓紙に描いて腐蝕させた後、紙を揉みほぐして多数の細片にし、張り重ねた作品である。
'90-'92年は、金属粉のドローイング。太筆のストロークや、掌による厚塗りの方法で、樹脂に溶いた鉄粉を用いて和紙・韓紙に描いた表現が、'90-'91年の作品で、'92年になると新たにブロンズパウダーが加わっている。
風は東の空から
世界は生気に充ち、生あるものは全て宇宙からの恵みによって生かされている。その恵みを自らの内に取り込むために人には五感が備わっており、それを稼働することによって心と体を創りあげてきた。これらの感覚器は基本的には即物的なものに作動し、情報を脳へと送る。人の造り出す道具や機械は五感の機能を増幅させたものであり、文明の根幹はここに根ざす。
しかし人にはもっと重要な感覚として第六感がある。これは総合的な感覚で五感のうえに立ち、それらを統合するもので、「直感」や「氣配」と呼ばれてきた。これは電磁場の変化に感応する感覚で、経路を通って脳に異変を知らす。
科学的合理主義が全ての価値観を席巻するようになって久しいが、感覚器官としての実体のない六感とそれが受け取る情報は、共にその価値の外へ排除された。そして五感は互いの関わりを断たれ尖鋭化することにより、六感を通じてなされる原始への繋がりを喪失した。このことが人間に、自然に対する畏敬の念を忘れさせ、生かされている自分を体感できなくなってしまった。
會て日本人は自身も自然の一部であることを識り、それと共に生きるため、あらゆるものが発す
る微細な問い掛けを感じとってきた民族であった。そして、それは日常の生活習慣や人の思考や感性にも大きな影響を与え、衣食住を始めとする様々な文化を形創っていった。
しかし私の育った時代は、それらの文化は現在進行形ではなく、過去形になっていた。のみならず、そこへの道筋は外来の文化に蹂躙され痕跡を留めぬまでになっており、幽かな破片を手掛かりに先人の心へ繋がる道を探さねばならなかった。確かに日本の文化は、歴史的に見ても外来文化をその母体としてきた。しかしそこには熟成と昇華があり、これを経ることで先達は自らの自己証明を手にした。時代や地域を越え、母語や文化の根を失った民族の辿る道は哀れなものである。
美術界においても様々な流行が欧米から輸入され、それに翻弄されて多くの作家が消えていった。そしてそれは今に繋がる。
しかし欧米の文化を支えた合理主義は、ニュートン力学の根本原理が相対性理論や量子力学によって否定された時、崩れ去った。質量、空間、時間までもが絶対的存在としての地位を追われ、全てのものが「ゆらぎ」の中に放たれた。これこそ東洋哲学への回帰であり、同時に東洋から世界に通ずる価値観を発信する好機である。この時にあって尚、彼らの鏡に映った自身の姿を探す愚行を犯してはならない。
今、確実に風は東の空から吹いている。その風に何を乗せるかは、私達の手の内にある。
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