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2012年4月7日(土)〜29日(日)
10:00am〜6:30pm
休 廊:火曜(予約営業)、水曜
出 品:銅版画‥‥ 21点
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周 豪 コメント
(当画廊のアーティストカタログより)
能は、面の表情が消されたにもかかわらず一層表情し、緩慢たる所作(動き)にもかかわらず、一層生命の律動を思わせる。人は誰もこの不思議さに極東の美意識の深奥に気付くだろう。制作も消したり、弱めたりした中で不思議な生命力を獲得していく。この矛盾にも思える事柄に、一東洋人としての安堵と神秘を味わうものだ。復活は一度の死を経ることを前提とする。画面は究極のところ、モノを足した結果でなく、モノを消した結果でしかない。真に絵画が絵画を足らしめるために、絵画性をどう捉えるかの核心に触れなければならない。
墨絵やモノタイプの場合、手と頭の駆けっこかのように速やかに手を動かす、それは想念やイメージに追い付かれないため。しかし油彩は、時間をかけて仕上げていくのに適し、作品を己の美学に最大限に近づけることが出来る。いわばライブ録音に対してスタジオ録音のようなものだ。宿命的に、作品は出会えた媒材の必然性に導かれた結果でしかない。油彩を描く時、私は常に気にするのは、空間的、時間的、心情的『間』ということだ。筆致の一つ一つに、この『間』という意識を込めて塗り重ねていく。思えば人生も生と死の『間』(ここは「あいだ」と読む)なのだ。最近の作品はもはや目を休ませる場所、のようなものに変わった。中国の「無」、インドの「空」、そして西洋の「有」、、、世界の捉え方は多岐多様だが、しっくりくるのは「無」や「空」。所詮東洋人なのだろう、天才的創造よりも、次第に達観や悟性の深さにこころが惹かれて行く。そしてそれぞれのDNAの極限性、異文化の薫陶と影響、、、これらを一体どう作品に結実するか、私自身それを見てみたい。
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