作画の動機
春、野山は新しい命が競い合うように萌え、夏、植物や動物は生命を謳歌しやがて実りの秋を向かえる。季節は巡り、木枯らしが吹き野山は白いベールで包まれる。移ろう命の連鎖をみていると人間もただの動物であることを気づかしてくれる。
命あるものは必ず終え、形あるものは必ず朽ちていく。なにも変わらないように見える風景さえも地球の歴史をフィルムの早回しのように短縮してみればダイナミックに変化しているだろう。私の作品はそうした移りゆく時の記憶としてのイメージを銅版に封じ込め、紙に写し取っていく。
自然を見ていると人間の浅はかな知恵というものがいかにつまらないか教えてくれる。野山に咲く愛らしい花や葉っぱ、幹の形や色はどんな彫刻家でも絵描きでも表すことの出来ない美しさをたたえているし、枯れてなお美しい色やマチエールを見せてくれる。野山を歩いて制作のヒントをたくさんもらってくる。
子供の頃、遊びの舞台はもっぱら山や川。樹間から仰ぎ見る星空の美しさ、雨や風、雲。自然の神秘は子供心に畏敬の念や命の儚さを感じていた。そうした子供の頃の感性が心の奥に沈殿して現在の作品にそのイメージが現れてくる。
自作の事をあらためて考えてみると自分の生まれた環境こそが作画の動機である。
2012年2月 今村由男 |