あーとらんど ギャラリーでは、関 正和さんの新作油彩画の展覧会を開催致します。関さんは1933年に丸亀に生まれ、現在東京を拠点に活動しています。
今回の個展を前にして、最近の制作上の感想をを書いていただきましたので、以下に紹介します。
戦時下の画家
(文:関 正和)
いつも、造形とか、画家の心理とか堅苦しい話題ばかりなので今回は少しくだけた話をと思ってーー。
戦時中の、何時、上から爆弾が降ってくるか分からないご時世に絵どころではなかっただろう。私の大先輩達の話でも、戦争に協力するような絵じゃないと油絵の具の配給が受けられなかったとか。政府の気にいらない作品は展示す
ることならぬとか、展示した作品でも反戦的なものは撤去させられたようだ。一方、戦後の作品からは想像もできない、この人がと思うような人が従軍画家として勇壮な日本軍勝利の作品をたくさん残している。私はまだ子供だったが子供は子供なりに、あの、戦時下の空気はしっかりと身に覚えがある。軍に強力した画家達は敗戦と同時にどんな気持ちになったのだろう。あの、関西の人気女性漫才師ウナバラ・オハマ・コハマでも戦時慰問で活躍したことで戦後、戦犯に問われるのではないかと一時、郷里に身を潜めていたという話を聞いたことがある。
今回の話のメインは、その10歳になるかならない私自身が戦争協力をしていたということだ。
それは、2度程ある。戦局は益々厳しくなり国民全体がピリピリしていた頃、スパイに気をつけろという達しがあった。「防諜報国」という4文字を習字の時間に描いて応募し、警察から賞状をもらった。ちょうどその時何をやらかしたのか母親からこっぴどく叱られて泣いていたら、担当の先生が来て、「防諜報国」が入選したので賞状を貰いに行こうと連れていってくれたことを覚えている。
もう一つは、サトウ・ハチローの「めんこい仔馬」という歌を主題に軍馬をテーマにした映画が上映された。勿論、戦意高揚の映画だ。私は、馬の絵を描いて映画館に応募して表彰されたのだ。丸亀・浜町の今は駐車場になっているところに地球館という映画館があって、そこのでっぷりとふとった館主から表彰状と映画の入場券をもらった。10歳になるかならない時にもう、戦争に協力していたのだから恐ろしいことだ。
何しろ、昨日まで化粧品屋の退役軍人のオヤジが、或る日、別当が馬をひいて迎えにきてその馬に乗って丸亀の連隊に通うような時代だった。
あゝ、もう一つ思い出した。それは、善通寺の陸軍病院へ慰問に行き、詩吟の「川中島」をバックに剣舞を舞ったことだ。ちょっと思い出しても三つもある。
傷病兵達の評判がよかったと母親は喜んでいたが、何にでも積極的で、何にでもねじ込んでいくような母親を持つと、その息子は苦労が多い。60数年も前のことーー。
堅苦しくない話をと最初に書いたが、ある意味では堅苦しくないなどとはいってはおられない深刻なことかも知れない。 (以上)
今回の展覧会では小品から30号までの新作油彩画約30点を出品致します。是非ご高覧いただきますようご案内申し上げます。
敬具
(文責:山下高志)
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