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関 正和 展   プレスリリース(2009)



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関 正和 SEKI Masakazu 略歴

  1933 香川県丸亀市に生れる
  1948 香川県展奨励賞受賞
  1950 行動美術展入選
  1952 自由美術展入選
  1954 上京、井上長三郎先生に師事
  1957 自由美術協会会員となる
  1968 自由美術展自由美術賞受賞
  1969 現代美術選抜展(文化庁)出品
  1982 東京展賞受賞
  1985 香川県展審査員となる
      香川県文化会館に作品収蔵
  1986 ヨーロッパ滞在(フランス、イタリア、
      スペイン、イギリス)
  1992 香川県文化会館にて個展
  1994 丸亀市立資料館にて個展
  2001 Galerie Lichtblickにて個展(ベルリン)
      ヨーロッパ滞在(ドイツ、オランダ、チェコ)

  ■現 在:自由美術協会会員
                      以上



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           関 正和 展
         
      会期/2009年 11月1日(日)〜 11月15日(日)
         11:00am〜7:00pm 休廊:11/11(水)
      会場/あーとらんど ギャラリー 
      出品/油彩画 ‥‥‥ 約 30 点

 あーとらんど ギャラリーでは、関 正和さんの新作油彩画の展覧会を開催致
します。関さんは1933年に丸亀に生まれ、現在東京を拠点に活動しています。

 半抽象の油彩画家として飄々と自の道を歩み続ける関さんの絵は、毎年個展で
見慣れている人には離れた位置からでもわかるようで、絵に近づくと、「あっ、
やっぱり関さんの絵、色が奇麗ね。」と、よく感心されます。今回案内状に掲載
した油彩画(72.7X90.9 cm 30F)を見ても、画面全体を覆う透明な紅殻色が紛
れもなく関さんの色彩であり、所々に散見される黒、白、青、黄の色がその印象
を更に強めています。今年の個展は必ずや見る人それぞれの「透明な色彩」を発
見していただける機会となるでしょう。

 「紅殻色の蔵」と名付けられた案内状の画は蔵全体が描かれているのではな
く、紅殻色の壁がモティーフになっています。画面の大半を占める平(長辺側)
の壁とその両隅の妻(短辺側)の壁の角は黄色の見え隠れする線がそれと暗示し
ています。左隅の黄線が垂直に伸びているので関さんは左妻側から蔵を見ている
のでしょう。すると右妻の壁は見えないはずですが右隅の黄線は縦に細長い三角 
形の壁の存在を意図しています。現実では見えないはずのものを見えているよう
に描いているわけです。窓は黒線2本でその存在のみを表し、なまこ壁の一部が
日に照らされているのでしょうか、白い漆喰の盛り上がっている明るい部分を白
い不規則な線で描き青く反射する平瓦の十字の目地まで鮮明に描き込んでいます。

 この「紅殻色の蔵」の絵は現実そのもののを正確に写生している訳ではなく、
かといって現実を無視して自由に描いている訳でもありません。いわば線も形も
色も現実と不即不離に描かれているといえるでしょう。現実から受けとった自ら
の「実感」を絵に置き換える訳です。関さんの才能を高く評価していた井上長三
郎の言葉を引用してみましょう。

   「私たちが一個のリンゴを描くときは教科書のリンゴをかく訳ではありせ
  ん。飽くまでその実感を捉えるためであります。ですから色も誇張されたり、
  ふくらみもいびつ(デフォルメ)にすることも考えられます。ピカソが描く
  椅子の足は裏側が描かれてありますが、これは普通の視覚では見られません。
  (註1)」

 蔵の絵はこの文章がよく当てはまります。でもそれだけではありません。なま
こ壁、窓の描き方を見ればそれが現実を抽象化していますが、完全な抽象化では
なく描かれた形や色から現実を推測できるので、ここでは便宜的に半抽象と呼ん
でいます。この抽象化が「紅殻色の蔵」の実感を強調するための方法であること
はいうまでもありません。仮になまこ壁や窓を丁寧に写実的に描き込んだとした
ら、屋根までかきこまなければ絵としての構図が成り立たなくなってしまうでし
ょう。それは蔵全体の説明にはなっていてもこの画家が捉えた実感としての「紅
殻色の蔵」とはほど遠い存在になってしまいます。

 案内状の絵「紅殻色の蔵」の内容を簡単に辿ってみましたが、この1枚の絵に
込められた画家の制作の過程は全くの憶測の域を出ません。蔵の様々なデッサン
を手掛かりに自らの実感をイメージ化する過程で、現実の蔵をみた画家が掴んだ
自分自身の実感という「疑いようのない実在」を描く方法論を発見するのが画家
の仕事なのでしょう。この点について関さんの考えをご寄稿いただきましたので
以下に紹介します。

          広重の「東海道五十三次」
             (文:関 正和)

  先日、面白いものをテレビで見た。広重が東海道五十三次を実際には歩いて
 描いてはいないのではないかという話。レポーターは現場に行って絵と見比べ
 ながら描いたとされる場所を探していたが。そして、まだ、名も売れていない
 広重が幕府に同行して行けたはずがないとか、又、司馬江漢が油絵で描いた
 五十三次が広重のものと点数も描かれた場所も殆ど同じものがあるということ。
 そして、江漢も五十三次を実際に歩いて描いていないのではないかと。もし、
 二人とも現場で描いてないとすれば一体、二人の五十三次の絵のモトは何か。
 そこで出てきたのが当時の旅行案内図だ。これも、広重、江漢のものと点数も
 描かれた場所も殆んど一致しているというのだ。
  広重の五十三次の作品の大胆なデフォルメや簡潔な構図は常々私を驚かせて
 来たし、作品によっては北斎よりも上だと思うものもある。この、広重の作品
 の秘密は一体どこにあるのだろう。自然を前にして果たしてここまで造形でき
 るものなのか、と長い間思ってきた。彼が実際に現場で描いたとしても、旅行
 案内図として作られた版画や、江漢の作品をヒントにして制作されたとすると
 謎が解けるような気がしたのだ。
  以前、私は、私自身の最近の作画方法として、実際の自然やモノを見てのみ
 描くのではなく、印刷物や写真、街の中で目にうつるもの、道に落ちているも
 のでもインスピレーションを感じるものはすべて利用していると書いたことが
 ある。自然から出発して、苦しんで苦しんでやっと、つかむことが出来るよう
 なものが、この方法だと一瞬にしてそこに出来ているような構成の感覚を与え
 てくれるのだ。
  いうまでもなく、広重の才能はすばらしいものだが、彼とても、実際の自然
 から描くとあゝはいくまいと思う。卓抜した描写力の上に、江漢や、旅行案内
 図から飛躍的な造形のヒントを得たのではと想像するのだ。
  自然以外のものから造形するといつでも、発想は自分自身であり、イメージ
 を展開して行くのも自分なのだが、そこには、自然からのみ作画する苦しみか
 らいうと何かうしろめたいような気持ちを捨て切れなかったのだが、広重のこ
 とを聞いて大きな後押しを感じたのも事実だ。
  つまり、自然に近づけば近づく程、自然をなぞることになってそれは、うそ
 になってしまう。いかに自然を突き放すかという難しいことを彼はこの方法に
 よってつんだような気がする。                 
                                (以上)

 今回の展覧会では小品から30号までの新作油彩画約30点を出品致します。是
非ご高覧いただきますようご案内申し上げます。
                                  敬具

 註;(1) 井上長三郎 (1979) 「画論集」 33頁 中央公論事業出版


                            (文責:山下高志


 



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