■絵は同じ視覚対象でも、映像のような時間軸がない、動かないもの。だから創る人や見る人が動くことになる。創る人は心を動かすものに形「依代」を与えるために動き。見る人はその経験と知識が閃きをもたらし心が騒ぐ。その束の間こそが時間軸を得て続く物語りのはじまり。
-リトルクリスマス-小さな版画展2019コメントより-
■私の絵には二つの柱があります。ひとつは「心」という見えない意識を様々な形を借りて抒情的に現した絵。もう一つは「心」をひとつの「器」や「型」になぞらえ、その留まらないありさまを色と形を添えて現したものです。
柱といっても裏と表、右と左のようなもので、心の揺らぐ振れ幅のようなものです。
一見全く別の作者の様に思われてしまう私の絵ですが、これは長い間に自分が描き残したいものは「心のありさま」ということに気付いたからです。それは「むらぎも」という一語に出会ったことで確信に変わりました。「むらぎも」とは心の枕詞でとても古い言葉。不思議なことに、漠然とした潜在意識が、たった一語に出会うことで、これほど自由な意識をもたらすとは今まで経験がありません。だから「心」を絵に現すことができるなら、具象とか抽象という違いは私には些細なことのように思えます。ただ潜在する妄想が私の体から離れ、絵として描き残せるなら。
2013.10.12 筆塚稔尚
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