■ 略 歴 1998年 東京芸術大学大学院修了 1999年〜 銅版画製作 2000年 「第1回チンタオ国際版画ビエンナーレ」(中国) 2001年 「国際版画exlibrisトリエンナーレ」(ポーランド) 2002年 「国際版画トリエンナーレ ギャラント・エロ ティック(チェコ) 2003〜 「国展」毎年出品('06年 平塚運一賞・'07年 版 2013年 画部奨励賞)「国際版画exlibris展」(ポーラン ド) 2004年 「台日書票交流展」 「新孔版画協会展」(東京) 2005年 「国際小品版画ビエンナーレ」(ルーマニア) 2006・2012年 「韓・日交流友好美術展」(川崎市・富川市) 2010年〜 日本画製作 「TOKYO PIXELS展」 2011年 「神戸アートマルシェ2011」 2011年〜 「日仏現代国際美術展」(東京) ('11年新作家賞 '12年会員優賞)
[個展] 2002年 ギャラリーポルトデザール(東京) 2003・2006・2009・2013年 あーとらんどギャラリー (香川) 2007年 ギャラリー愚怜(東京) 2011年 光画廊(銀座)
[グループ展] 1999〜2008年 「銅夢版画展」すどう美術館、銀座アー トスペース 2006・2007年 「国展版画部受賞者記念展」 地球堂ギャ ラリー 2008年 「銅版画の魅力展」 ギャラリータマミジアム その他、ギャラリーポルトデザール、あーとらんど ギャラリー、目白オープンギャラリー、十一月画廊 等 多数 現在 国画会版画部準会員 サロン・ブラン美術協会委員 公募・団体展について 「国展」 国画会。90年以上の歴史をもち、版画部は棟方志功、平塚 運一等を輩出。 現在は毎年4月末〜5月初旬、東京六本木の国立新美術館 にて開催。国内最大級の団体展。 「日仏現代国際美術展」 1997年創立。洋画家白尾勇次氏を中心に結成された、サ ロン・ブラン美術協会主催による国際公募展。現在は春 (4月初旬)東京都美術館、秋(9月下旬)大森ベルポート アトリウムの二か所にわたり開催。 「TOKYO PIXELS展」 2010年結成。作家の領域のない活動を目的に、東京都内・ 近郊の画廊にて開催。絵画・版画・デジタル表現・写真と 幅広いジャンルの作家が参加。 以上
作品価格は、TEL 0877-24-0927、または、 E-mail : sales@artland-gallery.jpでお問い合わせ 下さい。
<美術家の文章> 蟻塚の砂
一枚の絵を制作する時に費やす時間について、最近常々考えている。ずいぶん時間をかけ、半ば堂々めぐりの思考を重ねたのちに、実際の絵を描き始めているからだ。まるで蟻が積み上げる塚の砂の一粒のように、自分を感じることがある。 構図を決めるために、線をひく。数ミリの範囲をいくども引き直す。形を決めることは、実に難しい作業だ。資料を調べて、アイデアを出しながら、それを自分の「形」にしなくてはならない。その絵を描こうとした一瞬の着想を、色褪せることなく再現するには、今度は膨大な忍耐と時間を必要とされるから。 絵を描く作業に入ってしまうと、楽しみもある。古いLPレコードを聴きながら、音の印象を眼の前の画面に反映させることもある。調べ物に入りこみ、そのまま読書や検索に終始することも、よくある。仕事の多くに、自由の制約があることを思えば、これは快楽といえる作業であろう。 しかし蟻塚の砂粒は、風が吹けばあっという間に形を変え、消え去ってしまう。自分のこだわりは、ひとつの砂塵にすぎない。この仕事に意味はあるのか?この費やす時間を、人生の他のことに使うとしたら、どれほどのことが出来るのだろう?こうした問いかけと共に、制作はいつもある。 過去の描いてきた絵を取り出して、眺めてみると、嗜好や世界観はわりあい一貫している。その中にも、日本画専攻であった学生の頃の絵は、大仰にいうならば自分のなかの朦朧体、とでもいうような逡巡が多くみえる。学生気分で、先人の偉業を少しでも真似てみたかったのかもしれない。 その後、十年余りを銅版画制作に費やしたのち、思考錯誤を経て今は自分の中に元々あったもの、最も表現しやすいもの、「線」の追求を進めている。 一本の線によって、自分の題材である神仏や花やエロス、感情のエッセンスを表現したい。美しく、冷徹な観察眼をもって・・・・。理想的には、子供のころ、細い細い線を時間を忘れてどこまでも描いた感覚を、味わいたいと思っている。 現在、時間の有益性を自問するのは、大人になって久しいのだから当然として、もう一つは自分の仕事が、他者と自分をつなぐ媒介を充分に果たせているか、、意識するからに他ならない。しかし、その葛藤の中にも、ふとほの見える光明のような、何かが合致するような、喜びの射すときがある。 答えではないが、描きつづけ、発表しつづけなければ、味わえない感情であろう。たとえ、一粒の砂塵であっても、一瞬輝き、観る人に伝わるかもしれない、その希望を感じることが出来たら、存外の幸せである。 二〇一三年九月 �塩崎 淳子