<美術家の文章>
美の姿を求めて —優婉なる線とは何か— 塩崎淳子
子供の頃から仏画・イコン・舞踏や能・文学等々、美しいものが好きだった。
美術家になろうとしたきっかけは特に思い出せない。美しいものを観た喜びが私の自然体験のようなものだったから、絵を描くことで、何とかその記憶の再現を試みているかもしれない。
淀みの無い墨線で描かれた平安の仏画、ほっそりした北宋の菩薩像。さしのべられた能役者の手の動きを思い起こす時、私はそれらが、美への感情的な憧憬よりも、むしろ厳しい形への追及や構築から生まれたものであっただろうことを、いつも心に強く刻む。
優しげなものを描いても際どいものを描いても品を大切にしたい。冷静な観賞にたえられるものが、美術と思うからである。
技法については銅版画を10年以上、表現手段としていた。銅板に針で線を刻んで薬品処理をする版画技法で、おもに白黒の表現で行ってきた。
日本画とドローイングは和紙に墨・顔料・染料を用いて行う。色を使い、筆で再び絵を描きたくなったからである。
最近は日本画とドローイングの制作の方が増えた。むしろ色を使うようになった今のほうが、線のことをいわれることが多くなった。内省的な銅版画から、よりのびやかに、優婉に、表現を進めていけたらと希望している。テーマは少しずつ変化する。物語・神仏・エロス・花など。その時々の人生の体験が作品に反映すればいいと思っている。
以上
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